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体現するということ

週末に、家族3人でお風呂に入っていたときの話。


夫が急に

「最近さ、幸せ感じてるねん。」

と心の内を話し始めた

「こうして3人で

 一緒に過ごしてる時もそうやし

 藍(息子)を見ているときも、

 幸せやなって感じるねん。」


「『足るを知る』って

 こういうことなんかな。」って。


話を聞いていくと、

今まではこれが欲しいとか

あれを手に入れたいとか

そういった欲があったけど、

それを手に入れたところで、

自分自身は満たされるのか?

いや、一時的には

満たされるかもしれないけど、

また次々と欲しいものがやってくるんじゃないか

そう感じるようになったらしい。


それを聞いて、

私はものすごく嬉しかった。


もう、感動レベルで。



我が家ではよく、

自分が思う言葉の定義や

お互いの感覚・意見について話をするのだけれど、


お互いの「幸せ」に対する価値観に

一定の距離を感じていてね。


でも感覚的な部分って正解はないし、

いくら夫婦であっても違っていておかしくない。



それに自分の感覚・意見を無理矢理

押し付けるようなことはしたくないから、


相手の意見を尊重しながらも、

私は私の感じる「幸せ」を体現していこう

そう決めていた。


でも実際、

その距離感に寂しさみたいなものも

感じていたのは確かで。


分かって欲しい!説明したい!

そう感じている自分もいたの。


だけどきっと、

相手を説き伏せようとしたところで

その距離はどんどん

離れていくような気しかしなくて、


だからこそ、

ますは自分が体現しよう!


もし必要があれば受け取るし、

そうじゃなかったら必要でなかった

ただそれだけのことなんだ。


そんな風に思って、

私は私の道を進んできた。


でも、

今こうして

同じ目線に立っている、

同じ方向を見ている。


それはつまり、

私が自分のこうありたいを

体現できているという証なのかなって、

そんな風に感じたの。


相手は自分の鏡ってよく言うけど、

私は本当にそうだと思っていて。


口で説き伏せようとしている段階では、

きっとまだそれを体現し切れていなくて


こうでありたいといった

イメージはあるけれど、

そこに、もしくは自分自身に対して

絶大な信頼は置き切れていない状態。


だからこそ、

安心するためにも人を巻き込んで

そこに到達しようとするんだと思う。


「体現する」って

一言で言っても難しいのは分かっている。


それを模索する道もきっと

そこに繋がっているんじゃないかな。


(夫に)こう思ってほしい、

(子供には)こうなってほしい…


そんな風に感じることがあるのであれば、

まずは自分自身がそう思おう、そうなろう。


きっとそこには

言葉以上に力強い何かがあるから。


私もまだまだ、

自分のこうありたいを体現する旅の途中。


でも諦めずに、

一歩一歩前へと進んでいくよ。







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